SPECIAL EVENT

スペシャルイベント

第1回 ハンドセラピス感動ストーリー上位3作品

皆様からご応募いただいたハンドセラピスに関わるエピソードのうち、厳正なる選考の上選ばれた3つのストーリーです。

作品A「立ち直るきっかけをかける魔法 〜ハンドセラピス〜」

 大阪の進学校の中学・高校の教師だった私は、今は独立してクリニックでエステ部門を担っております。すでに20年以上たくさんの教え子たちを、社会に送り出してきました。

 昨今のインターネット社会において、
画面の向こうの顔の見えない知らない人間が発する言葉は、すさまじい数の人々の脳や心に痛ましいダメージを与え続けています。

 ある日、卒業した教え子の一人が引きこもりになり、お母様から塾の先生に精神科に行くように勧められたとご相談がありました。何とか立ち直らせてあげたくても、せいぜい本人と面談し、話を聞いて寄り添ってあげることくらいしかできないのが現実です。
 「たかが言葉、されど言葉」
ご存知のとおり、一度口から放たれた言葉は、人に生きる希望を与えることも、時には人を死にも至らせることもできるという深い意味があります。認め、励ますという言葉の魔法は年齢に反比例して、高くなればなる程、効果は下がってしまいます。
 特にスマホに侵されたボキャブラリーの乏しい若者達相手に、心を打つ言葉の魔法は、見解、常識の違いで通じないことが多く、いつも誤解を生んでしまったりと苦戦を強いられていました。

 ちょうどその頃、ハンドセラピスの技術を習得したところだったので、お母様と生徒であった子供さんに自律神経の乱れが心と身体に影響を与えていることを伝え、すぐに体験して頂きました。

 私は、子供さんだけが体験するのではなく、お母様にも一緒に体験していただくことにしました。なぜなら、子供の不登校を支えながらも傷ついている親心も考慮し、2人同時に心と身体を癒せないと意味がないと思ったからです。
 そして、帰り際に「あなた達は今、ハンドセラピスという自律神経を整える素晴らしい技術を私の身体を通して体験したのですよ。
 もし朝起きて、身体が軽かったり、夜に寝つきが良かったら、まだまだ回復できる可能性があります。
 スタートはここから!きっと大丈夫だから連絡して下さいね…
 家族を支えているお母様も疲れているだろうから、同じですよ」
とハンドセラピスの余韻と共に、立ち直るきっかけになる言葉の魔法をかけて帰っていただきました。

 すると、3日後にお母様から連絡がありました。
「先生、子供が朝起きて、朝ご飯を食べてくれました。そして、またマッサージに行ってまだ間に合うなら学校に行きたいと言ってくれました。」
と声を詰まらせながら、電話の向こうで泣いていらっしゃるようでした。

 そこから、何度か施術と勉強を重ね、なんと3年ぶりに試験を受け、晴れて大学に進学することになりました。

私が最初に出会ったハンドセラピスは、瘦身とリラクゼーション目的だったので、自律神経の説明を聞いても、正直ピンと来ずに、聞き流してしまっていたように思います。
 しかし、コロナをきっかけにたくさんの人が心の闇と不安を抱えた今、ハンドセラピスという偉大なアイテムを手に入れたことで、傷ついた人の身体に直接触れ、自分の手で微調整しながら電流を通してあげることができます。
 時には電気風呂のようにやさしく心と身体をほぐしながら包み、また時には電気針のように疲れたきったツボを刺激して凝り固まった痛みを和らげる…
 そんな言葉を超えた素晴らしい特殊なコミュニケーション能力を
手に入れたことに、私は興奮すら覚えるほど感動しました。

 この魅力ある技術に出会えた御縁を大切に、きっかけを下さった方への御恩を忘れず、今後、たくさんの様々な状況の方に立ち直るきっかけを与えていけたらと思います。
 そしてまた、立ち直らせる側のエステシャン自身の心と身体も同時にエナジーを通じて癒される、一挙両得の技術であることも、大きな魅力だと感じています。

 複雑に絡み合った情報が、心の奥底までズカズカと割り込んでくる時代に言葉の限界を超えて、心と身体に立ち直るきっかけを与えるハンドセラピスは、未来に向かって生きる人の心と身体の支えとなると確信しています。

作品B「復活!!」

息子とのお話です。
次男大学1年生の時、通学の途中でバイク事故。
大怪我をしました。
まだ未成年だったので親の承諾なく治療ができない
と救急搬送された病院から電話。
身体が震えて止まらなくなりました。

駆けつけると、息子が「ごめん」と…
「いやいや、怖かったやろ…」と私。
息子は「足、付いててよかった」とボソっと言っていました。

それを聞いて、凄い衝撃やったんやなぁ…と
想像するだけで震えが止まらない。

右足の膝の皮膚が裂け骨が剥き出しになっている状態。
左足は骨折、膝の靭帯3本損傷。かなり重症…💧
右足の膝の外傷は見た感じかなり酷く、20針

膝の端から端まで縫う。

左足は靭帯を繋ぐ手術が必要と言われたけど、
硬くなに次男は手術を拒否。
手術したら半年はかかる。
「コロナでオンラインになっていた大学生活がやっと始まったのに、せっかくの大学生活が減るやん」と…
あと、手術のリスクも考えると、今はしたくない。
自力で治す😅💦とか…

とりあえず、足の付け根辺りから足首までのギプス。
7日間の入院。
そして退院後、
「翌日から学校へ行くわ。」って

「えーー!なんでー」
縫った傷もまだジュクジュク。
松葉杖で必死に。。

学校は坂だらけ。
これは、身体中筋肉が凝るな…
あと、ギブスをすると筋肉が落ちると聞いた事があったので、上半身とギブス付近の足の筋肉を毎日施術しました。
なのに、ギブスがどんどんゴソっとしてくる😢
ギブスの中に手が入るようになる。
足が攣ると大変なので、気をつけながら施術。

一ヶ月後、やっとギブス取れる!
次男は喜びながら病院へ行き、ギブスを取ってもらった瞬間、
「え、曲がらん、痛い」何なん⁉️
太ももの前の筋肉が固まって、石みたいな硬い固まりが幾つもあって。
歩くのが痛い、怖い。またまた目の前が真っ暗。

先生は「ギブスしたらこんなん普通やで!これから頑張ってリハビリやな!歩けるようになるまでリハビリ痛いけど、頑張ってやらないといつまでも歩けないよ。」
とさらりと言われ、帰りの車は暗くて重い空気が満タン😢

気持ち切り替えて、またエナジーしよう!となり、太もものゴツゴツとした石のように固まった筋肉に優しく電気を流しました。
ほんの1年前までは高校野球に明け暮れていたこの子。
嘘やん…
私は涙流しながら太ももに電気を流したのを覚えています。
それが、数日するとそのゴツゴツと石のように固まった筋肉が無い!
「えー!凄ーい!よし!そしたら筋肉つけていこー!」
と光が見えました。

そして、お医者さまに靭帯の所に低周波の電気を当ててもいいかお伺いし、「大丈夫ですよ。」との事だったので、膝周りも入念に流しました。
前十字靭帯は血流がないから自然治癒しないから手術は必須です。と何度も言われながら、息子はしませんの一点張り。
毎日、ひたすら施術の日々。

事故が10月、なんと、
その12月末にはスノボーに行けるまでになり。(かなり強引…)
結局病院の痛いリハビリは一度も行かず、
ハンドセラピスのみで筋力が戻りました。
夏には海、琵琶湖、キャンプ三昧。

バイクも中型から大型に乗り換え、四国一周。
痛い思いしたし、ちゃんとわかってるから!
と言う言葉を信じるのみ😭
今年、成人式を無事に迎える事ができました。
息子が一言、「危うく成人式迎えれんかった所やったからなー」と💦
本当、息子も私もハンドセラピスに感謝です。

偶然なのか、必然なのか、
ハンドセラピスを導入するかどうか悩んでいた時、
長男大学、次男も私立高校、大学進学予定。
「こんな時期に私がお金を使っていいのか…」って悩んでいる私に、

「そんなん、お母さんが200万使った所で死にはせんわ!
やり!もし、失敗でもいいやん!」って背中を押してくれたのが次男でした。

息子の経験を活かして、今後どなたかのお力になれたらと思っています。

作品C「小さな感動を」

 私は学生から、そのまま主人と結婚して子育て、義母の世話をしながら主人の仕事を手伝って50代後半にハンドセラピスと出会いました。
始めるきっかけは、主人のリュウマチです。
友達や孫を練習台にしてなんとか主人の施術ができるように成り、
今も「エナジーする?」と声をかけると嫌とは言いません。
 ある寒い日に施術後、タオルを渡すとボソッと一言
「タオルが握れる」
と主人の感動の言葉、確かに言いました。
もっと素直に褒めてくれれば良いのに、
仕方ないです、これが私の旦那様です。

 もう1人、私のミニバレーのスポーツ仲間が知らないままにパーキンソン病で練習に来なくなり、病院や整体に通っている事を知りハンドセラピスをお誘いしました。
 施術の間トイレに3回行かれ、身体が楽になった事、帰られる時に「靴の紐がむ結べる」と喜んで言われました。
 そして翌日、忘れた帽子を歩いて取りに来られました。前日は車でしたが、
「真っ直ぐに歩けると嬉しくて歩いてきました」と。
「帰りは送りましょうか」と言うと「大丈夫です」と言われ、嬉しそうにゆっくり歩いてかえられました。お誘いして良かったと思いました。治る事はできなくても痛みを和らげたり、予防したりする事ができれば、それだけでも救われるのではないでしょうか。

 4年の間には沢山の事が有りました。
今のハンドセラピスに変わり、施術のやり方も変わったので覚えるのも中々でした。

 マイスターに挑戦したのは、県内から出るのが難しい人の為に頑張ってみようと思いました。ホテルの部屋で書いたり暗記したり大変でしたが、家事労働無しのホテルの時間は最高でした。そして、マイスターの仲間ができ、とても嬉しかったです。

 マイスターに成りセラピストに成られた生徒さんとの施術の練習は、もちろんですが「肩が上がった、腰が動いた」と身体の動きの変化に喜んだりしながら、手技の勉強を楽しくやらせて頂いてます。

 この世に産まれて、この年齢に成ってハンドセラピストとして活動している自分に感動しています。もう少し地元で頑張って、周りの人に小さな感動与えられればと思います。